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 お世辞にも物知りとは言えない同田貫は、あくる日も、またあくる日も三日月に様々な問いを投げかけてきたが、それに答えることは決して億劫ではなかった。
 時間なんて有り余っていたし、第一に三日月は他人との交流というものに飢えていた。唇の奥に閉じ込められるばかりで、これまで碌に使われることのなかった無数の言葉たちが同田貫を前にしてようやく形になり、彼の耳へ届く。三日月はそれが嬉しかったのだ。

「主がさぁ、明日から戦に出ろって」

 だからそれを聞いたとき、三日月は喉奥に真綿を詰められたような息苦しさを覚えた。

「体はもう自在に動かせるし、まあそろそろ頃合だろうとは思ってたけどよ。むしろ遅いくらいなんだろ? お前は刀剣の中でもいっとう不器用だ、って主に言われてさぁ」

 汗ばんだ額を手の甲で拭った同田貫は、積み上がった薪を前に満足げに頷く。鉈を放り、三日月の座る縁側にどっかりと腰を下ろすと、空っぽの湯飲みに自ずから茶を注いで一気に煽った。顔を顰めて「なんか今日の、濃いな。苦い」と舌を出す仕草を見ると、たしかに彼はすっかり肉の器に馴染んでいるのだな、と感心する。最初のうちは言葉の通り酸いも甘いも分からぬ状態だったのに、今では立派に文句までつけるのだから。

「――そうか、ようやく戦場へ出るか。それは良いことだ」

 気付かれぬよう唇を迷わせ、目出度いとばかりに笑んでみせるが、その実、喪失感にも似た何かが三日月の中に広がっていく。髪を揺らす生暖かい風が、胸の真ん中にぽっかりと空いた穴を吹き抜けていくようだ。

「あんたはやっぱり留守番か?」
「出陣の要請は今のところ来ていないな」
「だよなぁ、未だにあんたが出陣するとこ見たことねぇし。つうかよ、やっぱずっと引きこもってたら退屈だろ。なんか土産でも持って帰ってやろうか、大将の首とか」

 同田貫の真面目くさった顔からは、冗談なのか本気なのか判断しがたいが、恐らく後者だろう。主人のため、雀や鼠の死骸を枕元にそっと置いていく猫の話はよく聞くが、こと敵兵の首となると流石の三日月も参ってしまう。第一、それでどう暇を潰せというのか。
 退屈などではないさ、と軽い気持ちで返答しそうになるものの、実のところ同田貫の言う通りだろう。きっと明日からまた、三日月は欠伸ばかりを零すぼんやりとした一日を過ごすのだ。

 とは言え、同田貫がいなかった頃に逆戻りするだけなのだからどうということはない。手持ち無沙汰ならば再び新たな刀を迎えればいい。元々そのつもりだったのだ。そう、この暇潰しが長く続かないのは初めから分かっていたことだ。
 釘をさすように自らに言い聞かせる言葉の数々に、釈然としない気持ちになるのはどうしてだろう。何かが蟠っているような、満たされないような、なんとも形容しがたい曖昧な気持ちが三日月を支配する。

「なぁ、あんた欲しいもんとかねぇのか。なんでもいいぜ、俺がやれるもんならな」

 同田貫は三日月の表情を窺い、胡坐をかいた腿の上で意味もなく指を鳴らしてみせる。
 なんでも。
 ならばお前が欲しい、と言えば同田貫はどうするのだろう。なんて、ぼんやりと思い浮かんだそんな考えに、三日月は自身の中に渦巻く気持ちの意味をようやく察した。きっと少しだけ、彼を手放すのが惜しくなっている。欲が出ているのだ。だって彼と過ごす時間は、三日月にとってあまりにも心地よいものだったから。
 けれどそれだけではないような気もしていた。もっと、この気持ちを例えるのに適した単語があるように思えてならない。けれど霧がかった胸の中からそれを見つけることは困難で、結局三日月の口からは当たり障りのない言葉が紡がれる。

「たぬが無事に帰ってきてくれればいい。それが何よりの土産になる」

 三日月の言葉に、拍子抜けしたとばかりに目を瞬かせた同田貫は、僅かに首を傾げて視線を落とす。

「……無事、ってのは、生きて帰るってことか?」
「傷を負わぬに越したことはないがな。突き詰めて言えばそうだ」
「ふぅん」

 いまいち釈然としない顔で、自身の体に刻まれた無数の古傷を見下ろした同田貫を横目に、三日月はすっかりぬるくなった茶をちびちびと啜った。
 汗でしっとりと湿った同田貫のうなじに、桜の花びらが貼りついていた。半ば無意識の内に手を伸ばした三日月だが、そこに触れるか否かというところで指先が躊躇う。

 下心もなにもない触れ合いに、近頃逃げ腰になってしまうことが増えた。それも同田貫に対してのみ、だ。
 おぼこさにあてられているのだろうか、同田貫の手に指先が触れようものなら、背筋をそろそろと這い上がるくすぐったさに居てもたってもいられなくなる。今だってそうだ。むず痒さが三日月の脳天にまで昇っている。

「こんだけ広い邸なんだから、主もどんどん刀剣を集めりゃ良いのにな。そしたらあんただって……」

 閑散とした庭先を眺め、同田貫はなんともなしに呟いたけれど、思い浮かべたであろう言葉が形になることはない。三日月もまた、自らを襲う不可解な感覚に動揺するばかりで、濁った言葉尻をつつくような真似はしなかった。




 同田貫が初陣を飾ったその日、本丸周辺は深夜から明け方にかけて局地的な豪雨に見舞われた。朝餉で腹を満たし終える頃にようやく雨が上がったが、相変わらずどんよりと曇った空は不吉な呻き声をたびたび響かせていた。

「――同田貫は、そろそろ合戦場に着く頃か」

 書き物をしていた手を止め、半分ほど開いた襖の先から覗く曇り空を仰ぐ。
 今日の三日月は珍しく、主に仕事を与えられていた。と言っても、新参の短刀たちを引き連れての遠征――もとい、お遣いの延長のようなそれは一刻とかからずに完了し、今はその任務に関する報告書を纏めているところだ。
 報告書の最後に、携わった刀剣の名を書き記し、こうして印を押せばあとはもう主に提出するのみ。欠伸が出るほど単純で、時間潰しにもならない退屈な仕事はこれで終了だ。三日月は嘆息し、私室で待ち構えているであろう主の元へと向かおうと重い腰を上げる。

 道中、鍛刀部屋の前に差し掛かった三日月は、ふとその足を止めた。
 開けっ放しになった障子戸の先、四畳にも満たない小さな部屋の更に奥に続く、鍛冶道具が整然と並ぶ小部屋が目に入る。そこもまた、戸が開けっ広げてあり、火の焚べられていない炉や積まれた端材のようなものまで、三日月の立つ廊下からはっきりと見て取れた。

 同田貫を鍛刀したあの日のことが頭に過り、気付けば三日月は室内に足を踏み入れていた。
 炉の前に資源を揃えて放っておくだけで、仕えの者がじきに新たな刀を生み出してくれるだろう。同田貫を作ったときもそうだった。今の内に鍛刀を始めれば、遅くとも夕刻までには仕上がるはずだ。そう、ぼんやりと考えながら炉を眺めるものの、三日月の体は一向に動こうとしなかった。
 手間な訳でもなく、なんとなく気が乗らない。何かが三日月の手を引き留めるのだ。そうして頭の中に同田貫の姿が浮かんでは消え、不明瞭な靄が胸を覆い尽くす。
 まただ。いい加減うんざりする。同田貫のことを考えた途端、たちまち沸き上がるこの感覚は一体なんなのだろうか。
 
「……病にでも罹ったか」 

 一人ごちて、薄暗い室内で立ち尽くす。
 首を傾げてみたところで、襲いくる奇妙な感覚が取り払われることはなく、結局三日月は何をするでもなく部屋をあとにした。
 当初の目的を果たし、再び鍛刀部屋の前に差し掛かっても尚、三日月を押し留める何かがその手を緩めることはなく、ただ答えの出ない疑問に頭を悩ませながら暇を持て余すばかりだった。


 戦日和とは言い難い天候ではあったものの、しかし結果として同田貫擁する部隊は白星を刻んだ。生憎、無傷の帰還とはいかなかったが、その日の夕餉は初陣にも関わらず見事『誉』を与えられた同田貫を祝す声に溢れ、にわかに活気づいていた。

「あの大太刀を両断した一撃は特に見事だったな。獅子奮迅の活躍、と言うべきか。同田貫殿、明日にでも自分と一度手合わせ願いたい」
「いくらなんでも蜻蛉切と同田貫じゃ力量差ありすぎなんじゃないかぁ? さすがにここで流血沙汰は主に怒られるだろ」
「あんたたち、祝いの席でそういう話はナシにしなって。ほらぁ、遠慮しないでどんどん飲みな!」
「酒くせえ……。あんた、俺に託つけて飲みてえだけだろ……」  

 やけに饒舌な蜻蛉切と御手杵に挟まれた同田貫に、既に出来上がった次郎太刀が絡む。やんややんやと騒ぐ周囲に顔を顰めこそすれ、同田貫は決してその状況に気分を害してはいないようだ。肩に回る次郎太刀の手も、振り払いはしない。
 三日月はそんな同田貫たちから僅かに離れた席に身を納め、黙々と箸を口に運んでいた。
 帰還した同田貫とは、未だ一言も会話を交わしていない。夕餉の席へ赴いたときには既にあの状態だったし、割り込むことは躊躇われた。同じ部隊に属する者が同田貫を囲う場に、三日月が身を置くのは不自然に思えたのだ。

 食事の場にはいささか不釣り合いな血生臭い会話を交わすばかりの彼らとは対照的に、早々に箸を置いた三日月は空になった膳を片付けると、一人広間をあとにする。
 出ていく際、同田貫と視線がかち合ったけれど、物言いたげに口を開いた彼をしかし次郎太刀は離さない。今日はこのまま、酔いつぶれるまで絡まれ続けるのだろうな、と漠然と思いながら静々と廊下を歩く。
 長い廊下の曲がり角に差し掛かったところで、勢いよく襖が引かれる音に振り向いた三日月は、のしのしと近付いてくる同田貫に目を瞬かせた。

「……たぬ、どうした。主役のお前が席を外していいのか」
「いや――その、厠だよ。厠に行きたくて抜けてきた」
「そうか、だが厠は反対だぞ。あちらの角を曲がった先だ」
「あ゛ー……わりぃ、勘違いしてた」

 三日月が指摘すると、同田貫は僅かに赤らんだ顔で頬を掻く。目線を下げ、どこか気恥ずかしげに唇をむずつかせる様子が物珍しく、三日月は思わず笑みを溢した。

「慣れぬ酒に酔っぱらったか」

 言って、秀でた額に手のひらを翳そうとしたけれど、やはり三日月の手はそこで躊躇う。動作を止めた三日月を、同田貫は微睡んだような溶けた双眸で見上げた。そのまなざしに、どきりと心臓が鳴る。
 誤魔化すみたいに前髪を撫ぜて、広間から響く次郎太刀の声に「早めに戻るといい」と促せば、同田貫は素直に頷き再び喧騒の中へ消えていった。
 その後ろ姿を目で追いながら、指先に残る熱を逃さぬようぎゅっと握りしめる。
 乾いた髪を隔てて触れた同田貫の額は酷く火照っていた。もしかしたら三日月自身の手が火照っていただけかもしれないが、今となっては定かではない。ただ、熱に浮かされたようにやたらと頬が熱かった。

 どうせなら、あのまま帰さず戦場での出来事を尋ねればよかった。惜しいことをしたな、と後悔したところで、今更呼び戻すような無粋な真似は出来ない。
 敵軍を前にし、彼はどんな表情を見せるのだろう。勇ましい雄叫びを上げ、禍々しい敵を斬り倒したその瞬間、その双眸はどれだけ美しく輝くのだろう。
 今朝からずっと、いや、彼を鍛刀したその日からずっと、三日月は同田貫のことばかり考えている。





「そいつは重症だなあ……」

 開口一番、鶴丸はそう言って困惑の表情を浮かべた。いや、正確には笑いを噛み殺しているような、無理に気難しい表情を装っているような、そんな顔だった。

 非番を言い渡された鶴丸が、久方ぶりに三日月の元を訪れたのは数刻前のこと。最初は世間話に花を咲かせていたはずだが、いつの間にやら軌道がずれ、近頃同田貫のことばかりを考えてしまうのだ、という話題に及んだのが半刻前だろうか。
 興味津々といった様子の鶴丸に促されるまま口を動かし、一段落ついたかと思えばこの反応だ。思わず溜め息が溢れる。

 同田貫と碌に顔を合わすことなく一日を終えるのは、今日で何日目になるだろう。
 湯呑みを片手に、ひい、ふう、みい、と指折り数え始めた三日月だが、強い既視感に襲われて手を止める。同田貫がこの邸にやってきたその日とまるで同じ行動を、無意識の内になぞっていたようだ。
 違う点を上げるとしたら、あの日庭先を色どっていた桜がすっかりと散り、来春へ向けて小さな芽をいくつもつけていること。それから、鍛刀部屋からは物音一つ聴こえてはこないこと。そのくらいだろうか。

 同田貫はあれから連日のように戦に駆り出されている。まだ未熟であるがゆえ、負傷の如何に関わらず戦後は随分と体力を消耗するらしく、出陣したその日は夕餉に顔を出す余裕もないらしい。かといって三日月から彼を訪ねる理由もない。いや、厳密にはあるのだが、それはただ顔を見たいだとか声を聞きたいだとか漠然としたものばかりで、疲弊した相手を捕まえる理由としては役不足だ。

 しかし顔を合わせることも儘ならない日々を過ごす内に、同田貫に対する思慕が三日月の中に積もり積もっていく。それはもう、寝顔の一つでも覗きにいかなければ胸が疼いて夜も眠れないほどだ。
 いくら三日月とて、もう感付いていた。
 奇しくも芽吹きの季節に三日月の胸で蕾み始めたこの感情を、人は恋と呼ぶのではないか、と。
 
「恋患いにつける薬なんて、さすがの主も持ち合わせちゃいないだろうしなあ。いっそ伝えてしまえば良いんじゃないか」
「伝える、か」
「ああ、同田貫はどうもおぼこそうだ。言わなきゃ分からんと俺は思うがねぇ」

 鶴丸は軽く言ってのけるが、恋というものを自覚したばかりの三日月にはいささか難易度の高い話だ。
 好意をぶつければ、三日月の胸に滞るものがすべて吐き出され、息の詰まるようなこの感覚も解消されるのだろうか。想いを伝えた先に、はたして何があるのか。ふと鶴丸に問えば、「ナニ、と言われてもなあ」と頬を掻くばかりで要領を得ない。

「伝えれば恋仲になれるかもしれないだろう。だが伝えなきゃそんな風に進展することもないんだぜ?」

 もっともらしく肩を竦める鶴丸だが、それも相思相愛であった場合のみ訪れる結果だ。もしそうでなかったなら、同田貫と三日月の関係はどう変化してしまうのだろう。
 思案を巡らせる三日月とは対照的に、鶴丸はそんな細かなことまで気が回らないようだ。所詮は他人事であるからか、三日月が頭を悩ませる姿を楽しんでいるだけにも思える。旧知の仲とは言え、この男に惚れた腫れたを打ち明けるべきではなかったかもしれない。
 
「みかづき!」
 
 不意に響いた声に導かれ、目線を遣ったその先に立っていた人物に、三日月は小さく息を飲む。
 同田貫だ。その身に纏う黒灰色が無数の血痕や砂埃に汚れているところを見ると、戦から帰還して幾らも経っていないのだろう。ぽつりぽつりと負傷しているようだが、何故手入れ部屋に向かう前にこちらへやってきたのか、と尋ねかけた三日月を、ひょこりと顔を出した短刀の明るい声が遮る。

「ぼくがだれだかわかりますか?」
「……おお、今剣か」
「おっ、なんだなんだ新入りか」
「せいかい! ひさしぶりですね! いくさばでかくれんぼをしていたら、うっかりみつかってしまいました」

 無邪気な笑顔で跳びはね、座した三日月に抱きつく今剣は久方ぶりの再会にはしゃいでいる様子だ。
 しかし幾らもせぬ内に「いわとおしはもうきていますか?」とそわそわし始めた今剣に苦笑を漏らし、じきに遠征から帰還するであろう岩融の私室を指してやれば、彼は軽快な足取りで駆けていった。いる三日月より、いない岩融の方が優先度は高いらしい。

「じゃあ、俺もそろそろ戻るとしよう」

 今剣の背中をなんとはなしに眺めていると、気を利かせたつもりなのだろう、鶴丸がにやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべながら立ち上がり、三日月の肩を叩いた。耳元で「結果が出たらまた聞かせてくれ」と囁いて去っていく真っ白な後ろ姿に嘆息せざるを得ない。


「主がさ、あいつも体が馴染むまでは邸に置いて様子見するって」

 ぽつんとその場に立ち尽くしたままの同田貫が、ふと口を開く。
 同田貫が言う『あいつ』とは今剣のことだろう。
 その一言だけで同田貫の胸中をなんとなく察してしまった三日月は、ふいと目を逸らしたその顔を見据え、小さく溜め息を吐く。

「たぬ、俺をこの邸に残していくことをお前が後ろめたく思う必要はない」
「……別に、そんなんじゃねぇ」
「なに、たぬきは知らんだろうが、一人遊びはそれなりに得意でな。お前がおらずとも楽しくやっているさ」
「ほんとかよ。俺にはそういう風には見えねえけどな」

 疑惑を孕んだ同田貫のまなざしをかわし、その姿を仰ぐ。
 数日ぶりに目にした同田貫の頬には、乾いた返り血がこびりついていた。裂けた胴着の合間からは浅い刀傷が見え隠れし、手足はどす黒く汚れている。
 きっと、人はこれをみすぼらしいだとか、みっともないだとか、そんな風に形容するのだろう。けれど戦の名残を纏った同田貫の姿が、未だ興奮冷めやらぬ様子で煌々と輝く瞳が、三日月には途方もなく美しいもののように思えた。

「今日の戦の話を聞かせてはくれないか」

 促すように傍らを叩けば、同田貫はおずおずと腰を下ろす。手を伸ばせば肩に触れられるか否かといった絶妙な距離を挟み、どこかちぐはぐな二人は身を並べた。
 僅かな沈黙のあと、「随分奮戦していると聞くが」と口火を切ったのは三日月の方だ。初めはもごもごと相槌を打つばかりだった同田貫も、三日月が問いを投げ掛ける内、徐々に饒舌になっていく。
 飛び交う矢を受け流し、白刃を交わした瞬間に沸き立つ激情や熱。次々に敵を斬り伏せながら大将の首を狙い駆ける高揚感。感じ得たすべてを拙い言葉で紡ぐ同田貫の表情に、三日月はどうしようもなく心揺すぶられる。

 そして同時に、奮戦する姿を伝え知ることしか赦されぬ現状が疎ましかった。彼が敵兵を前にしてどんな立ち回りをし、どんな顔を見せるのか、同じ部隊に属し、間近で堪能出来たならどれだけ満ち足りた気持ちになるだろう。共に戦へ向かい、この目に焼き付けたいと切に願う。

「やっぱりさ、見た目が綺麗だなんだって言ったって、あんたも結局刀だろ。俺たちは振るわれなきゃ意味がねぇんだよ」

 語る内に白熱してきたのだろう、同田貫は語気を強め、三日月をじっと見据える。

「失くしたくないから、って理由で主があんた使わないならさぁ、背中を預けられるくらい俺が強くなりゃいいんだ。俺があんたのこと、戦場に連れ出してやるよ」

 はにかんだような表情に、頼もしいその言葉に、三日月は僅かに瞠目する。
 秘めた気持ちを見透かすみたいなそれが、三日月の気持ちを元には戻せないほど傾かせていくのが分かる。あと一歩踏みとどまっていた心を突き落とされる感覚だ。じわりと滲んでいく恋慕が手足の先までを支配して、三日月の指はほとんど無意識の内に彼の頬へと伸びていた。
 二人を隔てる距離を越えてしまおうと、その肌に触れようとしたとき、同田貫が小さく呟く。

「あんたにとっての俺が背中を預けるに足るほど信頼出来る相手かは分かんねぇけど、俺はあんたをそれなりに信頼してるしよ。……なんつーか、仲間としてさ」

 言い訳みたいに付け足されたそれが、三日月の指を迷わせた。
 不自然に固まった手に、怪訝な顔を見せる同田貫の髪を撫ぜ、「桜がついていてな」と、ありもしない花びらを払い落とす。
 仲間という二文字が、どう足掻いてもすれ違う互いの気持ちを知らしめていた。たった今その髪に触れ、やがて離れていった手に、同田貫が安堵にも似た表情を浮かべたことが何よりの証明だ。二人の抱く想いには、絶望的なまでに違いがある。

 同田貫が抱く、恐らくは友好と呼ぶべきそれと、三日月が抱くたしかな恋情。似て非なるそれが相容れることはない。
 二人の間にある二尺ほどの距離が、そのまま心の距離だった。近付けるのはここまでであると、見えない線が真っ直ぐに引かれていく。

 そんなもの飛び越えてしまえと、鶴丸なら言うだろうか。しかし三日月の指も、唇も、まるで凍ったように動かなかった。一言「好きだ」と伝えることで、彼からの『信頼』が壊れてしまったら。仲間と呼ばれ、他愛ない会話を交わし笑い合える今の距離すら失ってしまったら。
 らしくもないけれど、無数に点在する負の可能性に三日月は怖じ気づいている。
 
「あんたにはさ、きっと戦場が似合う」

 なんにも知らない顔で同田貫が笑う。戦場に立つ三日月の姿を夢想して、背中を合わせ敵を斬り倒すその日に期待を寄せて、戦うことしか知らない顔で笑う。
 眩しい笑みを失う瞬間を思って、三日月は喉元につかえた言葉をゆっくりと飲み込んだ。
 飾られる刀と使われる刀の間に横たわる溝を前に、溢れそうな気持ちを閉じ込めなければ今は傍にいられないと本能的に悟っていた。

 築いてきた距離を縮めることより、許された距離を守ることを選んだ三日月は臆病者なのだろうか。
 ぼんやりと考えながら、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて自分の気持ちに嘘を吐く。呼吸もままならない切なさに飲まれ、心を掻き毟らずにはいられなくなるそのときまで、蕾んだ恋が決して光を浴びないように。