つぼみのままで



 季節は春だった。
 三日月が最後に戦場へ赴いたのは、一体いつのことだったか。
 主は三日月を随分と慎重に扱う。技量を磨き、力を積めば積むほどに出陣の数は減り、今や負傷兵が半数を占める状況を除いて戦に携わる機会はない。稀有な存在であるがゆえの宿命とでも言えば聞こえは良いだろうか。

 ひい、ふう、みい、と指折り数えてみる。邸に篭って幾らも経っていないようだが、縁側に腰掛け木漏れ日の中でまどろむばかりの一日がこうも続くと、それは永遠にも感じられるのだった。
 五分咲きの桜を眺め、ぬるい茶を供に夕暮れを待つ三日月だったが、背後から微かに聞こえた物音におやと耳を欹てる。振り返った先にあるのは鍛刀部屋だ。しばし考え込み、今朝方とった自らの行動に思い至る。人気のない邸に取り残される侘しさと手持ち無沙汰を解消しようと、気まぐれに資材を放り込んだのだった。いつの間にやら完成していたのだろう。

「どれ、どんな具合かな」

 空になった湯呑みを置き、重い腰を上げる。鍛刀というもの自体、未経験であった三日月にとって、これが自分の手で生み出した初めての刀になる。だからといって感慨深いなどとは微塵も思いはしなかったし、話し相手を見繕うために鍛刀に挑んだだけのことだ。理由も不純であれば、期待もさほど大きくはない。たとえば会話すら困難な鬱屈した性質の刀でなければ、それで充分だった。

 随分と長い間座り込んでいたせいか疲労を訴える背を大きく逸らしてから、きちりと締め切った障子戸に手を掛けた。
 引いた戸の奥から埃臭い空気が溢れ出し、使い古した敷布団の上に横たわる青年の姿が視界に入る。傍らに転がっているのは脳天の割れた兜と、あれは刀本体だろう。青年が漏らす小さな呻き声に導かれるまま畳を歩いた三日月は、間近で見たその風貌に目を瞬かせた。

 いくらか小柄な体躯を黒灰色で包んだ青年は、今の今まで砂塵の狂う戦場に身を置いていたかのような、おおよそ小奇麗とは程遠い不恰好な身なりをしていたのだ。篭手の先から覗く皮膚を縦横無尽に走り、その顔面をも横切る刃創と血色の悪い肌を目の当たりにした三日月の胸中を過ぎったのは、鍛刀に失敗したのではないかという落胆だった。
 しかし、喉輪を乗せた胸はゆっくりと上下しているのが見て取れる。傍らに跪き観察してみると傷は随分と古く、血液が溢れる様子もなければこれといった欠損も見当たらない。これが、この刀の本来の姿なのだろうか。

(――特にこれは、随分と古い傷に見える)

 鼻梁を掠め、頬をなだらかに下るその傷痕に指を這わせたとき、彼のまぶたが震えた。重たいそれの奥から現れた望月に、三日月の視線は一瞬にして奪われる。月を模した瞳がそこにはあった。
 思わず動いた指が、その月を捕まえようと縁取る睫に触れる。彼は予期せぬ感触に身を竦ませたあと、胡乱な目つきのまま視線を泳がせ、その真ん中に三日月の姿を映した。

「……あ゛、――っ」

 力なく掠れた声を発した直後、戸惑いも露に閉じる口。肉体を得てすぐの刀剣は喋るという行為に不慣れなのだ、上手く音を紡ぐことが出来ないのだろう。

「口を開いて、呼吸に音をのせる。出来るか」

 優しく諭すように言って、ひび割れた下唇を指で押し開く。されるがまま、ぽかりと開いた口腔に並ぶ小さな歯を爪先でつつくと、赤い舌が姿を覗かせた。湿ったそれが逃げ惑うかのように喉元へ引く様が嗜虐心をくすぐるが、三日月の胸中など彼は知る由もない。

「あ、んた……誰だ」

 口元がぎこちなく動く。くぐもった声は低く、まだ呂律が回らないのか聞き取り辛くはあったが耳ざわりが良い。

「ん? 人に名を尋ねるときは、まず己が名乗るものだぞ」
「名乗る、なまえ……」

 青年は逡巡し、顎先を逸らす。その拍子に唇から滑り落ちた指を引っ込めた三日月は、名残惜しさを笑みで隠した。

「どうたぬき――同田貫正国。そう呼ばれてる」

 青年――同田貫は自身の手を眼前に掲げ、閉じて開いてを繰り返す。意識することで自在に動く体が新鮮なのだろうが、その動作はどこか幼子を彷彿とさせて可笑しい。しかし、一通り指を動かしたあとこちらへ向けられた眼光は幼子などと程遠い強い意志を滲ませたそれで、三日月は体を劈くような甘い痺れが背筋を這い上っていくのを感じた。

「俺、名乗っただろ。あんたの名前も教えてくれよ」
「――ああ、すまない。つい見惚れてしまってな」
「見惚れた? ……何に」

 不審げに眉を顰める同田貫の言葉を聞き流し手を取ると、彼は三日月に体重を預けるようにして身を起こす。
 無骨でふしくれだった手は見た目に違わず硬く、潰れた豆があちこちに点在する武士のそれだった。しかし三日月の細く尖った手のひらで悠々と包み込めてしまうことが彼の小柄さを物語っている。三日月が膝をついているとはいえ、起き上がっても尚、噛み合わない目線の高さもその印象に拍車をかけた。

「……なに、黙り込んでんだ」

 同田貫は上目を使い、重いまぶたの被さった瞳でこちらを睨めつける。雄々しくもまだどこかあどけないその顔には警戒心が滲んでいた。
 おべっかを使い、諂うことでどうにか取り入ろうとする打算的な視線に晒されることに慣れた三日月には、彼が見せる鋭い表情がとても新鮮に思えた。初見では失敗を疑ってしまったが、これはまた良いものを引き当ててしまったかもしれない。
 宥めるように毛艶の悪い髪を撫ぜると、彼は身を強張らせ瞠目する。纏った首巻きに顎をうずめ、困惑も露にたじろぐ姿が愛らしい。
 くっと弧を描く瞳と、それに倣う三日月の表情は彼の目にどう映ったのだろう。

「三日月宗近という。たぬきや、よろしく頼む」

 言いながら、三日月はこの野性味の強い刀が無聊な日々にどれだけ色を添えてくれるだろうかと考えていた。




 ぎこちない動作で歩く同田貫を引き連れ、広い邸をぐるりと巡る。

「一通り見て回ったが、なにか気になることはあるか?」

 振り返り様子を窺うと、きょろきょろと辺りを見回していた同田貫は「気になることぉ?」と素っ頓狂な声を上げて頬を掻いた。
 母鳥を後追いする雛のように、彼は三日月の言葉に時折相槌を打ちながら後ろをついてきた。自身が何者であるのか、何故ここに生み出されたのか、そういった大まかなことは理解しているようだが、やはり刀の形を成していた頃とは勝手の違う体や目視する世界に戸惑っているらしい。一言に気になることと言われても、何を優先すべきかも分からないのだろう。

「戦に行くでもなし、いつまでもそんな格好では窮屈だろう。着替えるか」
「なんだよ。戦、出ねえのか?」
「手足も満足に動かせないその状態で交戦か、無謀だな。人並みに体を扱えるようになるまで精々鍛錬に励め。まあ、そう急くな」

 からかう声に不満げな表情を見せる同田貫ではあったが、踵を返す三日月に素直に従うところを見ると、今戦場へ向かうのは自ずから殺されに行くのと相違ないと分かってはいるのだろう。そわそわと落ち着かない様子ではあっても、制止を振り切って邸を飛び出すほど頭は悪くないようだ。

「好きなものを選ぶといい。といっても、碌なものは残っていないようだが」

 主の部屋に立ち入り、箪笥に収められた珍妙な衣装を広げてみせる。華美であったり面妖な装飾が施されていたりと、どうも不可思議な衣装ばかりが並んでいるのは、余り物ばかりであるからかはたまた主の嗜好なのか判断しかねた。

「なんでもいい。なるべく楽で、動きやすいやつ」

 同田貫は引き出しを一瞥し、喉元を覆う首巻きを鬱陶しげに緩めた。
思えば彼は随分と軽装だ。特に腹回りなど、緩く纏った胴着が大胆に開き、鍛え上げられた腹筋がはっきりと見て取れる。刀自身の性質がどこまで反映されるものなのかは分からないが、彼は身なりに頓着しない思考の持ち主なのだろう。

「そうか。お洒落には興味がないか」
「俺達が見た目なんか気にしてなんになんだよ。あんた、変なこと言うな」
「はっはっはっ、俺は変か。そうだな、着飾る必要などないやもしれん」

 三日月に対してこの物言いでは、加州とかち合った際には激しい舌戦を繰り広げざるを得ないだろう。勿論、主導を取るのは加州の方だろうが、戦場に出向く前に血を流すことになるかもしれないなと愉快に思う。
 三日月の笑みが意図することなど露知らず、篭手を外そうと躍起になっている彼の衣装はどれにしようかと指を迷わせて、ふと目についた『ジャージ』なるものを手にした。現在の服装によく似た黒灰色に、心なしか小さめな造りが彼の体に合いそうだ。いつも主がしているように、胸元にでも紋を刺繍すれば様にもなる。

「たぬや、着てみろ」

 喉輪を剥がんとしていた彼は、三日月の手中のものを見据えて眉を顰めた。よほど奇怪に映るのか、それを指先でつまんでしげしげと観察する。表情は固い。衣装の中心に走る金具をつつき、神妙な面持ちで見つめる。

「なんだ、着方が分からんか」
「あー……その前に、これの脱ぎ方が分かんねぇ」

 これ、と同田貫が指したのは彼自身がつい先ほど格闘していた喉輪だ。喉元と胸板を守るためにあるそれをぐいぐいと引っ張る彼は、首の後ろを通る緒が留めとなっていることに気付いていないのだろう。鎧で身につける武士の姿など散々目にしてきたはずだが、彼は微細な観察力など持ち合わせてはいないようだ。垣間見える疎さが、三日月の悪戯心を刺激する。

「どれ、じじいが脱がせてやろう」

 言って、答えも待たずに手を伸ばす。まるで抱き込むようにうなじへ両腕を回すと、同田貫はその身を強張らせた。しかし間近に迫る三日月をちらりと見上げたのみで、特段不審な顔も見せずに視線を戻す。首の付け根に食い込んだ緒を解いてやる間、その関心は胸元を圧迫する喉輪を外してもらうことにのみ向いているようだった。時折、偶然を装ってうなじをくすぐっても、まぶたを震わす以上の反応はない。

 三日月に男色の気はないが、その昔仕えていた主の元でそういった行為をさんざ眺めていたためか、同性同士で肌を合わせることにこれといって抵抗はなかった。
 人の体を得た刀剣が、無機質な刀であった頃には抱くことのなかった欲をもて余すのはざらで、戦帰りにその手の店へふらりと立ち寄る者も珍しくない。三日月もまた例外ではなく、同田貫ならば暇潰しだけと言わずそちらの相手としても打ってつけかもしれない、なんて不純な考えが過る。

 もったいぶった動作でようやく結び目を解いてやれば、彼は開放感に息を漏らしながら胸を反らす。無防備に曝け出した鎖骨から腹部へと下る邪な視線に気付かないなど、無知とは恐ろしいものだと肩を竦めた。

「その胴着はどう脱ぐのか分かるか」
「ん、分かる」

 胴着を脱ぎ捨て、木綿の長手甲をはらりと取り去った同田貫はあっという間にさらしと褌一枚になる。恥じらいという概念がそもそもないのだろうが、実に男らしい。
 着衣時にも感じた印象通り、彼は太刀のわりに小柄だ。全身を固める筋肉は他の刀剣と比べても遜色ないどころか際立って見事だが、身の丈が低い分やはり全体的に小造りであるのは否めない。至る所に見られる刀傷に狭い肩幅、それに合わさる童顔が妙に不釣合いに思える。胸板でぽつりと主張するほんのり淡い色の乳首も然りだ。
 彼が足元に絡まる胴着と格闘している間に、三日月は襦袢を探し当てる。体に密着するこの衣装をそのまま身に着けるというのは、目に毒なのではないかと危惧したからだ。

「襦袢を着て、その上からこれを身につけるといい」
「そんなごちゃごちゃ着なきゃいけねえもんなのかよ……。そっちのだけで充分だろ」
「まあそう言うな。……そう、両端を噛み合わせて、この金具を引き上げる」

 面倒だと文句を垂れる同田貫を宥め、渋々ながらも襦袢に腕を通させる。『ジャージ』を被った彼は三日月の手解きを素直に受け入れ、物珍しげに手元を見つめていた。

「ふうん、妙な着物だな。無駄な布ばっかひらひらしてねえのは良いけどさぁ」

 生地を噛んでしまったのか、金具が途中で留まってしまったために随分と寒々しい風体だが、本人はさほど気にはしていない様子だ。肌馴染みの良い衣装にご満悦といった表情で肩を回し、伸縮するそれを指でつまんでは離しを繰り返す。
 微笑ましい光景に頬を綻ばせた三日月は、これからどうするべきかと思案を巡らせた。今の同田貫と三日月とでは腕力に差がありすぎるし、まさか手合わせという訳にもいかない。主と顔を合わせる前に負傷などさせてしまったら、それこそ洒落にならないだろう。

「ふむ、とりあえず茶でも飲むか」
「茶? 人間が飲んでるあれかよ。俺達があんなもん口にしていいのか?」
「肉体を手にしている以上、人間とさほど変わらんさ。腹も減れば喉も渇く。それに、今の俺は茶を嗜むくらいしか楽しみがない。近頃は前線に出向くことも少ないからなあ」

 三日月の言葉に、同田貫はどこか間の抜けた表情を見せたあと、何事か考えあぐね黙りこくってしまう。物言いたげな様子に首を傾げるも、定位置と化した縁側へ足を運んだところで帰還した主に鉢合わせることとなり、結局その会話は中途半端に途切れたまま終わりを迎えた。




 翌日から、日の高いうちは主に与えられた雑事をこなす同田貫を眺め、合間には二人で他愛もない会話をして過ごした。
 幾日を経て分かったことというと、彼は口を開けば戦の話ばかりな生粋の戦場育ちであることと、当初の印象通り色事には非常に疎いということだ。
 純朴な青年を手篭めにするのもまた一興と考えていた三日月が肩透かしを食らうほどに、同田貫はおぼこく無知だった。幼子に毛が生えた程度の未熟な容姿を持つ短刀のほうが、余程その手のことに精通しているのではないだろうか。

「あんたってほんと変わってんな。刃も振るわず、一人だけこんなとこに引きこもってよ。俺だったら耐えられねえけど」

 そうして「早く戦に出たい」と譫言のように繰り返す同田貫は、時々、三日月に奇異なものを見るような視線を向ける。
 この日も三日月は湯呑みと茶菓子を手に、いつものようにぬるい風の吹く縁側で寛いでおり、今朝から刀らしい行動は一切とっていない。同田貫に刃の手入れ方法を教えるため、三日月本体を鞘から抜いたくらいだろうか。無論、刀本来の役目を果たすことなく、刃は再び鞘へ収められてしまったのだが。
 そんな三日月の姿が、刀は振るってなんぼと豪語する同田貫には奇妙に映るらしい。

「引きこもっているというわけではないんだがな。主が許せば戦にも赴くさ」
「ふうん、つまんねえとは思わねえのかよ」

 同田貫の問いは的を得ている。壊れ物のように扱われる日々をつまらないと思ったから、茶を飲むだけの安穏とした日々に嫌気がさしたから、三日月は同田貫を作ったのだ。
 刀であることへの固執や執念といったものを前面に押し出す彼には、三日月の抱く寂寞など理解出来ないのだろうし、ましてそれを解消する目的で作られたのが自分だなどと分かれば良い顔はしないに決まっている。あるいは頓着せず、「戦えればそれでいい」と言い放つだろうか。
 どちらにせよ、その問いには答えてやらない。

「まあ、特別なものは箱に詰めて、決して無くさないようしまっておきたい気持ちは分からんでもないからな。刃が毀れぬよう控えていろと主が言うなら、それに応えてやるのも刀としての一つの在り方だろう」
「――主の考えてることは、俺にはよく分かんねぇな。とにかくあんたが特別だってことは分かったけどよ」
「天下五剣の名は伊達ではない。主も俺を手に入れる為に随分苦労したと漏らしていたしな」

 下手に扱って、失くすのが惜しいのだろう。他人事のように言うと、同田貫はどこか釈然としない様子で首を捻る。

「聞けば聞くほど俺と正反対なんだな、あんた」
「うん? そうなのか?」
「なんたって俺は量産品だからな。あんたと違ってあちこちに転がってんじゃねえか? 使い物にならなくなったら新しいのを卸せばいい、ってんで多少の刃毀れなんか気にされたこともないしよ」

 量産品。
 三日月には縁のない響きだ。
 はらはらと散る桜を眺め、同田貫はなんでもないことのように呟く。自らを卑下している訳でも、三日月を羨んでいる訳でもなく、そこに卑屈な色は一つもなかった。ただ、無尽蔵に思える花びらに自身を重ねているのだろうか、視線は空を追っている。

「ま、俺ならあんたみたいに戦から遠ざけられることもないだろうし、思う存分暴れたところで咎められねえってこった。……早く戦に出てえぜ」

 遠く聳える山々を仰ぎ、奮う心を抑え切れないといった様子で彼は口角を上げた。
 暴れ回るなど、三日月には決して許されない行為だ。そもそも三日月は気性の荒い方ではない。何事も過ぎれば苦痛になり得るというだけで、のんべんだらりと生きることへの嫌悪もそう強くはなかった。
 だが、同田貫は違うのだろう。戦場に出向き、刀としての本分を果たすことを望んでいる。戦禍の中で折れ、砕け散ることもまた本望と、彼の瞳は雄弁に語っていた。

(眩しいな……)

 三日月は思わず目を眇める。欠けた月には決して宿ることのない輝きが、彼の眼窩には灯っている。
 これを手に入れたい。三日月は漠然と感じたが、それは身を削ってまで満たすつもりもない、ふと気まぐれに湧き上がった欲求だった。手の中に閉じ込めてしまっては、この鋭い眼光も失せてしまうだろうか。そう考えるとたちまち萎んでいくような淡く儚い欲だ。
 同田貫が日中こうして邸に留まり続けるのは、体が馴染むまでの間だろう。きっと幾らもしないうちに戦場へ駆り出され、そうして三日月はまたこの邸に取り残される。

 主の指揮の元、敵兵と刃を交わすことは刀として当然の義務であったし、三日月が強いられている状況の方が異質なのだ。同田貫の処遇に意義を申し立てる権利も、引き留める権利も三日月には与えられていない。それに、同田貫自身も三日月のように扱われることなど望んではいないだろう。
 せめてぼんやりと疼くこの好奇心が満たされるまで、留まっていてくれれば良いのだが。淡い期待を抱いてみるけれど、恐らくそう上手くはいかないだろうな、と密かに嘆息する。

「なあ、どうせなんもすることねえんだろ。だったら、あんたのこと教えてくれよ。昔話とか、なんかあんだろ」
「んん? 俺のことと言ってもなぁ、それほど愉快な話もないぞ」

 顎をさすり、何百年という過去を遡ってみるけれど、はたして同田貫の関心を引くようなものがあるかと言われれば答えに窮してしまう。何せ三日月は、主の腰に携えられているより刀掛けの上で眠っていることの方が多かった。もっぱら退屈な光景を眺め、退屈な会話に耳を欹てるばかりだったのだ。それはきっと彼にとっても退屈な話であるに違いない。
 やんわりと首を振る三日月を、しかし同田貫は意に介すことなく真っ直ぐに見つめる。

「俺は敵を叩っ斬る景色くらいしか見たことねえが、あんたは俺の知らないものを腐るほど見てそうだしな。暇潰しにはもってこいじゃねぇか」

 投げかけられたその言葉に意表を突かれ、三日月は目を瞬かせた。上目にこちらを見る同田貫は前のめりに胡坐をかき、すっかり話を聞き入る体制に入っている。

「……そうか、暇潰しか」

 思わず、彼の口にした言葉をおうむ返しに呟く。
 よもやこの三日月宗近を暇潰しに使おうと考える輩が存在するなど、予想だにしなかった。これまでそんな言葉を向けられたことすらない。無論、三日月が同田貫を作った目的とて暇潰しの為ではあるのだが、なんというか――彼が三日月に向ける視線はやはり新鮮で仕方がない。
 沸々と込み上げるのは感動にも似た衝撃だ。この邸に住まうどの刀剣にも当てはまらないその性質が、三日月の心を揺すぶってやまない。

「わ、なんだよ。っおい、くすぐって……やめろって!」

 三日月は零れ落ちそうな笑みを浮かべ、同田貫の頭をわしわしと掻き混ぜる。鬱陶しいとばかりに手を払いのけようとする仕草も、顰めた顔の真ん中で引き攣る傷も、三日月の目には新しく、とても魅力的に映った。

「っあ゛ーもう! 俺は犬猫じゃねえんだぞ!」
「はっはっはっ、そう吠えるな。暇潰しだな、いくらでも付き合ってやろう」
「いいから頭引っ掻き回すのやめろっての!」

 飾られ愛でられるばかりで、昔語りをせがまれた経験などこれまでになかったなとふと気付くと、三日月の頬はますます綻んだ。そして同時に、歓喜にも似た何かが込み上げる胸を押さえる。心がざわつくような、不思議な感覚だった。
 なんともつかぬ未知の心情に疑問符を浮かべながら、三日月は遠い記憶を辿る。

「そうさな、暇を潰すだめだけなら打ってつけの話がある。あれは俺がまだ足利の元に身を置いていた頃――」

 その昔語りは陽が暮れるまで続いたが、同田貫は欠伸一つ溢すことなく三日月の声に耳を傾けていた。