江戸の街を拠点とするこの本丸では、もっぱら城下町にて食料品や生活用品を調達している。路肩に並ぶ茶屋や針屋、軽妙な売り声を上げながら客を引く油屋に、時に呼び止められては愛想良く立ち止まる行商人。老若男女でごった返し、にわかに活気付いたこの町へ降りると、殺伐とした戦場で日々湧いては溢れる敵軍を斬り倒しているのが嘘のように思え、吸い込む空気すら新鮮だ。
同田貫にとっては、一種の気分転換として訪れる機会も多い馴染みの場所だが、人の流動の激しい場所であるためか、視界には常に違う景色が飛び込んでくる。なんとはなしに眺めているうちに日暮れを迎えることもしばしばだった。
大きな風呂敷を片手に米屋の前を通りかかると、気のいい店主が快活に笑い手を叩く。だが生憎、主から託された手元の紙に米の文字は含まれていない。首を振り、ひらひらと手を揺らす同田貫に、店主は情けない顔を作って大袈裟に悔しがってみせた。またよろしくと、その容貌通り張りのある声で叫んだ店主は、無数の通行人に向かいふたたび笑顔を振り撒きはじめる。
いくつかの食材名が書かれた紙を握り締め、辺りを見渡し目当ての行商人を探す。肩に乗せた長い棒の両端に商品をぶら下げ、長屋から長屋へと渡り歩く棒手振の行商人は、大抵決まった時間にこの通りへと姿を現す。扱っている商品はその棒手振によって異なり、調理済みの惣菜であったり雑多な日用品であったりと様々だが、いま同田貫が探しているのは新鮮な魚売りだった。しかし、不運なことに近場にいる気配はない。
どうしたものかと考えあぐねていた同田貫だが、ふと、傍らを歩いていたはずの刀剣が消えていることに気付いて眉を顰めた。はぐれてしまったのだろうか。懸念と共に振り向いてみれば、なんてことはない、その人は腰掛茶屋の前でぼんやりと立ち止まっている。
「おい、なにやってんだよ」
呆れた顔で近付いた同田貫に、三日月は「ああ、すまん」と悪びれない様子で笑みを向け、茶屋の奥をそっと指差す。
「たぬや、草餅でも食わんか」
豪奢な狩衣の袖を揺らし、わざとらしく腹を摩ってみせる三日月だが、つい先ほど二人が立ち寄った場所を思うと同田貫は深々と溜め息を吐くほかない。
「あんたなぁ、さっき蕎麦屋に寄ったばっかだろうが。そんなに腹減ってんのか?」
「なんだ、甘いものは別腹という言葉を知らんのか。乱や加州がよく言っているあれだ」
「そりゃ知ってるけどさぁ、一応今は買出しの途中なんだから、寄り道してねぇでさっさと……」
「んー、たぬきは真面目だな。――すまんが、草餅を二つほど頼む」
同田貫の苦言を物ともせず、店の娘に笑いかけながら指を二本立てた三日月は、注文を終えるなり腰掛に尻を落ちつける。とんとん、と自らの左隣を叩くのはそこに座れということだろう。気まますぎる行動にこめかみを押さえるも、草餅を差し出す愛嬌のある娘を無碍にも出来ず、渋々と三日月に従った。
横長の腰掛は少しばかり狭く、身じろげば互いの腿がぶつかり合うほどだ。すぐ目の前を童が裸足で駆けていくと、三日月の袴がちらちらと揺れて足を叩く。
鼻腔に広がる蓬の香りを楽しみながら食んだ草餅は、思いのほか甘みが強くなく同田貫好みの味だ。たしかに別腹というのは存在するのかもしれないな、と思いつつあっという間に平らげると、見計らったかのように齧りかけの草餅を口元に差し出される。
「俺の別腹は胃袋が小さくてかなわん」
あっけらかんとした三日月の態度に、呆れてものも言えない。半ばやけくそに、三日月の指まで食べつくす勢いで大口を開ける同田貫を、向かいのだんご屋に立つ娘がぎょっとした顔で見つめている。唇についた餡を爪先で拭えば、すかさず手首を掴まれ、その直後湿った感触が這った。おそらく舐め取られたのだろう、甘いな、と呟く三日月に視線を移した娘はますます戸惑った様子で、見てはいけないものを見てしまったと表情が語っていた。流石に気まずい。
三日月とて娘の視線に気付いていないわけではないのだろう、意地悪く喉を鳴らす音がなによりの証明だ。
行くぞ、と言い逃げるようにして、そそくさとその場を立ち去る。背後から響くたおやかな声を知らぬふりで突き進むのは、おぼこをからかう悪趣味な三日月へのささやかな復讐だ。
人の波をたどたどしく避けながら歩く同田貫だったが、ふと、張りのある若い男の声に足を止める。魚売りの棒手振だ。きょろきょろと辺りを見渡せば、案の定、斜め前方に『魚』の文字を大きく記した桶を揺らす男の姿があった。
あの男を捕まえなければ、今日の夕餉は米と野菜のみが並ぶ味気ないものになってしまう。見失うまいと、自然と早足になる同田貫は、気が急くあまり注意を払うことを忘れていた。あともう少しで追いつく、そう地面を深く踏み込んだそのとき、右肩に強い衝撃が走る。
ぐらりと後方によろけた同田貫だが、体勢を立て直す寸前で胸倉を掴まれたかと思えば、「どこ見て歩いてやがる」と気色ばんだ声が耳を責めたてた。まばたきを繰り返し、見遣った眼前では、いかにもな風体の中年男がこちらを睨みつけている。
拙いな、と状況の悪さを瞬間的に察知し、謝罪を口にするも、男の怒りは収まらない様子だ。町で諍いを起こすわけにはいかない。ぎりぎりと掴み上げられ、絞まる喉元に顔を顰めたところで、同田貫の肩を何者かが引き寄せる。
「俺の連れがすまんな、無礼を許してやってはくれんか」
咳き込む同田貫の肩を抱き、場を宥めんと鷹揚な声を発するのは三日月だ。
狭い視界に男を映せば、品定めするような視線を三日月へと注いでいる。同田貫に比べ、遥かに身なりのいい三日月から小金をせびろうとでもしているのだろう。浅い考えを透かした男の唇が下卑た色を浮かべた。しかしそんな男の態度に気付いてか、先手を打ったのは三日月の方だった。
「こやつは片目が見えんのだ。だからという訳ではないが、大目に見てもらえると助かる」
言いながら、三日月が同田貫の伸びた前髪を掻き上げた途端、男の顔色が変わった。右目を注視する男は、たじろいだ様子で身を引くと、捨て台詞を吐いて一目散に逃げていく。不穏な空気を感じ取り、野次馬と化していた群集も同様だ。二人の周囲から蜘蛛の子を散らすように人々が去っていき、そこにだけ奇妙な空間が出来上がった。
「……わりぃ」
ぼそぼそと不明瞭に呟いて、乱れた前髪でふたたび右目を隠す。三日月は気にした素振りも見せず、ただそっと同田貫に左手を差し出して、「来い」と笑う。目元にかかる濃紺の髪束がちらちらと揺れ、その瞳で同田貫をまっすぐに見据えた。
周囲の視線が気にならないでもなかったが、既に異質な目で見られているのだからと開き直り、その手を取った。途端に絡み付いてくる指を握り返し、照れくさい笑みをこぼして歩く。
同田貫が右目の視力を失ったのは、もう随分と前のことだ。
勝ち戦であると、鷹を括っていたのだと思う。部隊長であるへし切の声を振り払い、敵陣の中を一人駆けた瞬間の高揚感を、今でも鮮明に覚えていた。
そのとき既に深手と呼ぶに足る傷を負っていた同田貫は、さながら飛んで火にいる夏の虫といったところで、劣勢を強いられていた敵軍はここぞとばかりに群がった。獲物を仕留めんと迫り来る兵を薙ぎ倒し、悠然と構える大将の元へと辿り着いた頃には、同田貫の視界は血にけぶっていた。それが返り血であったのか、自身から噴き出した血液であったのかは定かでない。一つだけ確かなのは、過ぎた興奮が同田貫の痛覚も判断力も根こそぎ奪っていたということだ。
大将の左腕をめがけ振り下ろした一刀は白刃にあえなく弾き返され、反動で後ずさる体へと繰り出された痛撃が腹部を裂いた。濁る眼前に血飛沫が舞う。
体内にうずもれる冷えた刀身の感触に眩暈を覚えたが、それでも同田貫は刃を振るっていた。重い手応えののち、聳える影がぐらりと傾いで、勝利を確信したその瞬間だった。右の眼球を貫いた衝撃と、爆ぜる光。体内を掘り返されるような感覚に、荒々しい呼吸と共に迫りあがる血反吐が喉を焦がした。くずおれる体に広がっていく鈍痛と、地面を激しく蹴りつける無数の足音、そして青空を背景に点滅するいくつもの輪郭。それが、同田貫の右目が最後に映した世界だった。
現在、同田貫の右目には義眼が嵌められているが、厚めに伸ばした前髪のお陰で、それを悟られることは少ない。左目とはあからさまに異なる様相を呈すそれを、この町の住民は忌み嫌い、そうして恐れている。異質な者が弾かれるのはどの世界でも同じだ。そのため、日頃から不便にならぬ程度に前髪を垂らし、隠す癖がすっかりついてしまっていた。
「たぬや、もう俺から離れるでない」
三日月は同田貫の傍らに寄り添い、歌うように言う。その口調から軽い言葉にも聴こえるが、そうでないことは同田貫自身がもっともよく理解していた。
答えの代わりに右手にぐっと力を込めて、その左手を握り締める。通りがかりの幼い少女が、きょとんとした顔で二人を見つめていて、同田貫は少しだけ顔を赤くした。
三日月はどんな顔をしているのだろう、と気になったが、進行方向を見つめている以上、互いの表情を確認することは困難だ。
歩幅の違う二人は、時折その速度を緩めたり速めたりしながら、はぐれぬよう並んで歩く。目当ての棒手振はひょうきんな男で、お熱いですね、と二人の手元を見つめ口笛を吹いた。
邸へ戻った二人を待っていたのは、手入れ部屋へと担ぎ込まれる刀剣の姿と、響く怒声だ。異様な慌しさに眉を顰め、三日月と共に早足で声のする方向へと向かう。
「ああ、君たち! ちょうど良いところに戻った!」
二人を見るなり、安堵の表情で声を上げたのは歌仙だ。どうやら先程の怒声も彼が発したものであるらしい。文系を自称し、常に雅とやらに徹する彼が、余裕のない態度を見せるなど随分と珍しい。
何事か、と表情を険しくする同田貫に、歌仙は「第一部隊が検非違使と遭遇したはいいが、二人の隊員が重傷を負って戻ってきてね」と深刻な声音で告げる。その上、中傷の四人が足止めを食らい未だ戦場に取り残されているらしい。
「運の悪いことに刀剣はほぼ全員出払っているし、近侍の僕が主一人残して向かうわけにも行かない。今、燭台切が出陣の準備をしているんだ、だから二人のどちらかが――」
「待って、それなら僕がここに残って、三日月さんと同田貫くんの二人が向かったほうがいい」
緊迫する状況を縫い、現れた燭台切が冷静に告げる。何を言っている、と顔を顰める歌仙の肩を叩き、燭台切は強張った表情でぎこちなく笑みを作った。
「僕じゃ、目になってあげることは出来ない」
たちまち、歌仙が納得した様子で同田貫を見つめた。同田貫が右目を失明しているという事実は、日ごろ関わりの薄い歌仙とて頭にあったのだろう。歌仙は二人に「防具だけ付ければすぐに出れるね。急いでくれ」とだけ言い残し、忙しなく邸の内部へと消えていく。燭台切のまなざしに力強く頷けば、彼もまた、小さく頷き返し歌仙のあとを追った。
「……おっしゃ、頼んだぜ宗近さん」
「案ずるな。お前と二人なら怖いものなどないさ」
今一度強く指を絡め、解く。右側にその体温を感じながら、同田貫は奮戦するであろう仲間の元へと向かう。嘯く三日月の声が、ひどく頼もしかった。
◇
「……それで、どうして君は左側に傷を負って帰ってくるんだ?」
怪訝に眉を顰めた歌仙が、同田貫の左腕を覆う赤茶けた包帯を前に首を傾げた。
右目が見えないからこそ左に強くなければならないんじゃないか、そもそも君は、と説教めいた言葉を吐く歌仙に、替えの包帯を持ち寄った職台切が苦笑を漏らす。
急遽応援に駆けつけた先で、見事立ち回り検非違使を撃退したことには一切触れずあげく説教とは。不服に唇を尖らせる同田貫を、歌仙は「なんだいその顔、僕が間違っているとでも?」と更に叱責してくるのだからたまらない。
しかし噛み付くような態度とは裏腹に、癒えかけた傷口を晒し、治療を施すその手つきは優しく柔らかかった。
これでも歌仙なりに心配してくれているのだろう。少しばかり分かりづらいが。呆れたように溜め息をこぼしたのが気に入らなかったのか、歌仙はちくちくと嫌みったらしい文句をぶつけてきて、見兼ねた燭台切に止められるまで、その口が閉じられることはなかった。
「そんでさぁ、散々喋り倒したくせに、次は中傷で寝転がってた小夜にまで説教垂れ始めるんだぜ?」
あいつといると耳がおかしくなりそうだ、と愚痴る同田貫に、三日月はくつくつと喉を鳴らす。
同田貫の左腕同様、三日月の右腕にも包帯が巻かれていた。どちらも癒えかけているが、今日の戦で検非違使により負わされた傷だ。帰還が深夜に及んだこと、そして軽傷であることを踏まえ、時間を要さぬ簡単な手入れだけを施し、二人はこの閨へと戻ることを許されたのだった。時折ちくりと痛むが、なんてことはない。この程度、怪我と呼ぶのさえ躊躇われるほど些細なものだ。
「まあ、歌仙が言うことももっともだ。さぞ疑問に思っただろう」
噛み殺したような笑いを漏らし、三日月は同田貫の頬に手を添える。胡坐を掻いて向き合った二人の間には甘い空気が流れていたが、なにもこれから睦事に興じるわけではない。
三日月の指が、同田貫の右の目蓋に触れ、いくらもしないうちに義眼が取り外される。
「不便だよなぁ、これ。主はここだけ治らねえ原因が分かるまでの辛抱って言うけどさぁ、もう随分経つだろ。ったく、なにやってんだか」
ぶつくさと文句を垂れながら、傍らの水桶の中で丹念に洗浄される半球型のそれを眺める。
同田貫に与えられた義眼は、清潔を守るため、日に一度必ず取り出して洗うことが義務付けられていた。なんでもないことのように思えるが、実際にするとなると少々億劫だ。しかし半空洞の眼窩を晒し、敵に弱みを見せるわけにも行かないため、装着しないという選択肢はない。
これさえなければ特別不便はないのに、と膨れる同田貫の右目に、ふたたび義眼が嵌めこまれる。そこにあるのは、左目に灯る本来の色ではない。弓形の月を浮かべた夜色の湖のような、深い深い色だ。
同田貫はぱちぱちと瞬きを繰り返し、瞳を馴染ませる。
そして三日月の頬へ手を伸ばし、束になった前髪をおもむろに掻きあげると、隠れていた左目が露になった。そこにあるのは、同田貫が持つ金の瞳にそっくりな色だ。
「たぬの右目に俺の瞳が浮かぶ様は、いつ見ても気分がいい」
「奇遇だな、俺もいま同じこと言おうとしてたぜ」
どちらともなく、くすくすと息を潜めて笑いあいながら、同田貫は三日月の左目にそっと指を乗せた。やがて、そこにある金色がこぼれ落ち、窪んだ眼窩が姿を見せる。
今度は同田貫が手にした義眼を洗ってやる番だ。ひんやりとした水の中で、優しく汚れを落とす様子を、三日月は穏やかな表情で見つめていた。
三日月の左目が見えなくなったのは、奇しくも同田貫が失明したのと同じ日だった。
所属していた部隊は異なったが、戦場で負った傷が原因であることは同様で、奇妙な偶然とはこういう現象を指すのだろうと唖然としたものだ。
当時、片目を失ったという事実に、二人はそれほど衝撃を受けた記憶がない。付喪神などという不明瞭な存在である自分たちだ、受けた損傷が何らかの原因で治癒出来ないという事態に陥ることなど、大しておかしな話ではなかった。片方が機能しているならとりあえず問題ねぇだろ、と言ってのけた同田貫に、主は驚愕の表情を浮かべていたが。
三日月が失明していることは、主と同田貫、そして付喪神として生まれついての隻眼であり、片目での生活に不慣れな二人の指南役を命じられた燭台切のみが知らされている事実だ。そもそも、同田貫の失明が周知のものとなったのは事故に過ぎない。今となっては、早々に露見して良かったとすら思っている。なんといっても気が楽なのだ。それに、同田貫は嘘を吐くのがそれほど上手くはなかった。遅かれ早かれ、いつかは皆の知るところとなっただろう。
義眼を三日月の眼窩に嵌めてやり、並ぶあべこべの瞳を見つめる。
好いた相手にぽっかりと空いた穴を、自分の一部で埋めるというのは存外に良いものだ。どれだけ強く抱き合えど、隙間なく埋めあうことの出来ない場所が、ようやくぴったりと合わさった気がする。同田貫も、そして三日月も、体の軸を共有しているようなこの感覚が好きだった。
「右側にあんたがいるって思うと、つい安心しきって無茶しちまうんだ。って言ったら、あいつなんて言うんだろうな」
あいつ、と歌仙を思い浮かべながら笑う同田貫の右目に、三日月がやわらかく唇を落とす。
「なんだ、たぬは歌仙にのろけを聞かせたいと来たか」
揶揄っぽい声に「ばぁか」と返し、同田貫もまた、三日月の左目に唇を落とした。
くすぐったい口付けを幾度となく交わすこの瞬間を、今日もまたこうして迎えられたことが、同田貫はこれ以上ない幸福だと思う。互いを満遍なく触れ合うことが出来る今は、その姿を目に映すことの出来る今は、決して保障されたものじゃない。
「なあ、あんたが今日見た景色を教えてくれ」
「たぬが見た景色も余すことなく教えてくれるというなら、構わんぞ」
「……んなの当たり前だろうが。あんたの足りない半分は、俺がちゃんと守るよ」
だから二人はこうやって、毎夜残された瞳が映す世界を互いに分け合う。愛する人が知らない世界がひとつとしてないように、傍らにいつも寄り添って。
失った半分の世界を補いながら、なんでもない一日を生きている。